最近行ったコンサート
2003年9月
- 9月6日(土)町田市民ホール
町田コダーイ合唱団第30回演奏会(第U部)
1)ファルカシュ・フェレンツ:「ハンガリー風組曲」より(@バスダンス,Aガリアルダ,Bパッサメッソ,Cインテルメッツォ,Dハイドゥーダンス)
2)ヤンドール・パール:「ソナチネ」
3)バルトーク:(クラリネットとピアノのための作品 2曲)
4)ヴュータン:「ヴァイオリン協奏曲第5番」イ短調 作品37
5)ベートーヴェン:「アバテ氏」
6)パーセル:「女性は恋をさせる」
7)イギリス民謡:「若い季節」
8)ダヴィッド・メルヴィル:「ポーツマス」
9)コダーイ:「平和の歌」
10)コダーイ:「三つのゲメル民謡」
11)フォーレ:「小さいミサ曲」(女声とオルガンのための)
12)「婆やのお家」,「里の秋」,「箱根八里」,「秋のピエロ」,「最上川舟歌」,「遥かな友に」
13)コダーイ:「三人の王」,「ぼたんのまつり」
14)バルトーク:「ミハーイの日に」
15)コダーイ:「聖イシュトバーンの歌」,「孔雀よ飛べ」,「ホラティウスの歌」,「祝歌」
指揮:大熊庸生(1),大熊進子(5〜11,13〜15),佐川雅夫(12の前2曲),鹿内芳仁(12の後4曲)
演奏:町田コダーイ音楽院アンサンブル(1),飯田潤子(シンセサイザー;1),フェルフォルディ・マルコ(ピアノ;2,3),ベネシュ・スィラールド(クラリネット;3),迫田圭(ヴァイオリン;4),山ア美保子(ピアノ;4,シンセサイザー;11),町田コダーイ合唱団(5〜11,13〜15),町田男声合唱団「マルベリー」(12,15)
最近、合唱のコンサートに行く機会があるのは父が合唱団に入っているからだが、同じクラシックとは言え、オーケストラのコンサートによく行く私にとっては未知の世界で、よく分からないことも多い。町田コダーイ合唱団も初めて聴く。1972年に創立というからアマチュアの団体としてはかなり歴史が古い。「ハーリ・ヤーノシュ」などで有名なハンガリーの作曲家ゾルタン・コダーイが残した「コダーイ・メソッド」に従って音楽を指導してきたという。1985年にはコダーイ夫人から「コダーイ」の名称を使うことを許可されたという。
最初は合唱団ではなく、同じ音楽教室のヴァイオリン・アンサンブルの演奏。フェレンツの曲は初めて聴いたが、レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」を思わせるしっとりと美しい曲である。通奏低音はシンセサイザーだが、意外にもよく合っている。次はハンガリーの自由の樹学園小学校から招待された2人のかわいい小学生による演奏。パールという作曲家のピアノ曲。サティを思わせるなかなかの佳曲。小学生とは言え、実に大人っぽいしっかりとした演奏を聴かせてくれる。さすが音楽の国、ハンガリーだ。次のバルトークのクラリネット曲は曲名を覚え切れなかったが、こちらも実に落ち着いた堂に入った演奏であった。ヴュータンはピアノ伴奏。テクニック的にやや厳しい箇所も散見されたが、のびのびとした演奏。
休憩を挟んで、いよいよコダーイ合唱団の演奏。賛助の方もいるが、ほとんどが小学生から高校生ぐらいまでの若い人。全部で20名ちょっとか。ほとんどが女性です。ほんの出だしで、レベルの高さに驚きます。個々の曲のことはよく分かりませんが、とにかくまったく濁りがなく、歪みもなく、乱れもなく、脳みそが凍りそうな美しさ。特に高音のパートの純度の高さ。繊細なガラス細工を見るよう。コダーイの音楽教育に対する理念は、「自然の純正調の美しさを趣味よく、格調高く」なのだそうです。これを聴いてこういうことかと納得しました。聴こえてくる音楽からは、指導者の美しいものへの慈しみのようなものが強く感じられました。
途中、友情出演の「マルベリー」の演奏が入ります。男声のみのしかもかなり高年齢の合唱団で、雰囲気はまるで正反対ですが、力強さと暖かみを感じるよい演奏でした。指揮者ともどもマルベリーの皆さんはいつも気合が入っていてとてもよいです。
2回目の休憩後、再び町田コダーイ合唱団の演奏。今度はコダーイとバルトークの作品。音が合っている合っていないというのとは次元の違う美しさ。こういう声は綺麗な心を持っていないと絶対出てこないと思います。それにしても今の日本に、そして町田にこんな”声”が存在しているというのは驚きに値します。これは音楽を通した心の教育だと思います。英才教育というのがあるとすればこういう教育でしょう。「子供だから美しいのだ」というのは正しくないでしょう。自分だって子供の頃は決して美しい心を持っていたとは思いません。重要なのは、美しいものとはどんなものかを教えること、教育することでしょう。だから、子供だって大人だって同じなのです。ただ、子供の方が感受性が強いので教えやすいというのはあるでしょう。子供のときにこそ美しいものを知っていて欲しいという願いもあるでしょう。大熊さんご夫妻の思いはそいうことなのではないかと思います。(私の勝手な想像ですが。)
あまりに純粋で無垢な演奏に目頭が熱くなりました。そして自分が知らずにずいぶん大人になってしまったことに気づきました。もっと謙虚に生きなければなと思いました。いいものを見させていただきました。ありがとうございました。
- 9月14日(日)京都コンサートホール 小ホール
京都混声合唱団'03定期演奏会
高田三郎:混声合唱曲集より「啄木短歌集」
(@やわらかに,A頬につとう,Bいのちなき,C病のごと,D不来方の,Eふるさとを,Fはずれまで,Gあめつちに)
モーツァルト:「ヴェスペレ」(証聖者のための盛儀晩祷)K.339
デュリュフレ:「レクイエム」作品9
指揮:蔵田裕行
ピアノ:宮北昌子
ソプラノ:蔵田みどり,アルト:加藤苑江,テノール:竹内直紀,バス:石原祐介(以上、モーツァルト)
メゾソプラノ:竹林美子,バリトン:大谷圭介,オルガン:三森尚子(以上、デュリュフレ)
京都は、好きな街である。ここ4、5年、年に1回は必ず訪れている。いつもは12月あたまの紅葉が終わりかけた頃に行くことが多いが、今回はどうしてもいま行きたくなった。9月だというのに連日暑い日が続いており、暑いのが嫌いな私は直前まで行くのを迷っていたが、やはり行く決心をした。
14日は京都市北部の大原を訪ねた。その帰り、京都駅の観光案内所でもらった京都コンサートホールの演奏会案内をちらっと見たら、17:00から合唱のコンサートがあることを知り、国際会館でバスから地下鉄に乗り継ぎ、北山で降りた。ここに来るのは3回目だろうか(前回は2000年12月)。ただし今日は小ホールのほう。こちらは初めて。ステージの上の野球のボールのような照明が印象的。
約60名ほどの混声合唱。女声が約7割。最初の高田三郎の曲は啄木の短歌に曲をつけたもの。啄木の故郷を想う切ない気持ちが感じられる短歌集。8曲のうち6曲は「一握の砂」からとったものだという。いずれも1〜2分の短い曲。高田三郎のつけた音楽は優しく美しい。ちょっと美しすぎるかなとも思ったが・・・。CとGなどがよかったかな。合唱は丁寧でよくまとまっていたと思います。ピアノ伴奏の美しさは特筆すべきでしょう。
モーツァルトの「ヴェスプレ」も初めて聴く。全部で6曲から成るが、テンポのいい元気な曲が多い。それでもどうしても合唱曲はぴんと来ないが、ソプラノの蔵田さんが歌い始めると眠気も覚める。何と美しい声!声量は決して大きくはないが、よく通る明瞭な美声。音程も完璧でほれぼれします。いつまでも聴いていたいほど。いまはスイスに留学中とのことですが、また聴いてみたいものです。
次はメインのデュリュフレ。このレクイエムはフォーレと並ぶ名曲とされます。まともに聴くのは今日が初めて。全部で9曲から成ります。今日の伴奏はオーケストラではなく、ピアノですが、レクイエムにはオルガンが付きます。20世紀半ばに作曲された曲としては、かなり聴きやすい。フォーレのレクイエムよりもむしろ更に美しいと言ってもいいかもしれない。1回聴いただけではややつかみ所が分からない感じであったが、何度か聴けば親しめそうな曲である。合唱は前半よりさらにまとまりがよく、気合が入っていた(特に男声)。バリトンの独唱もなかなかよかった。
アンコールに、モーツァルトのモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618と、高田三郎の「来なさい、重荷を負う人たち」が演奏された。前者は私でも知っていました。短いですが、心が安らかになる名曲ですね。後者は高田三郎が聖書に曲をつけたもの。もちろん日本語の詩に曲を付けていますが、こうして聴くと難しい聖書も親しみやすく感じられます。宗教曲というのは、そもそも難しい聖書をやさしく教えるための手段だったという一面もあるはずです(バッハのカンタータなど)。こうして日本語で聴くと、その意義が少しは分かる気がします。そういう点でこの種の曲は日本人にとっては大変ありがたいし、貴重だと思います。高田氏はこの他にも日本語による宗教曲を作曲しているのでしょうか?
京都混声合唱団は2005年には創立80周年を迎えるという。そんなに古い歴史を持っているとは知らなかった。80年続いている合唱団なんてほかにどれくらいあるのでしょうか?すごいことです。お陰さまでまた京都の思い出が一つ増えました。
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