最近行ったコンサート
1999年5月
- 5月30日(日)東京芸術劇場
フロイデ・フィルハーモニー 第116回宇宿允人の世界
指揮:宇宿允人
ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
ウェーバー(ベルリオーズ編)「舞踏への勧誘」
ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」序曲
ビゼー 「カルメン」組曲より
ムソルグスキー(ラヴェル編) 組曲「展覧会の絵」
宇宿允人のコンサートに行くのは久しぶりである。昨年の暮れのコンサートは満席で、そのときはリハーサルを見ることができたが、やはり聴くべきは本番である。この日のコンサートもあと少しで満席というところにぎりぎりで滑り込んだ。コンサートは18時からだったが、盛況のため、14時からの回が急遽設けられたという人気ぶりである。
私が初めて宇宿允人のコンサートに行ったのは、いまから4年ほど前、阪神大震災のチャリティーコンサートの時である。その少し前にTOKYO
FMのザ・シンフォニーホール・フロム・ヨーロッパという番組で彼の指揮するブラームスの交響曲第1番のさわりを聴いて、すごい演奏だということを知っていたので行ってみたのがきっかけである。それ以来、7、8回は行ったと思う。
さて、今日の前半はポピュラーコンサートのおもむき。ワーグナーの前奏曲では、演奏後にコントラバス、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリン、それぞれのセクションごとに分奏し、曲の構成を分かりやすく紹介してくれ、聞き慣れた曲が新鮮に聞こえた。そして、指揮棒をマイクに保ち変えてのお話。ふつう指揮者というのは本番では一言もしゃべらないのだが、宇宿さんは違う。たいていいつも何かお話をする。曲の説明から、世の中の情勢の話まで。今日は、いまのコソボ紛争のことを嘆いておられた。「えっと、次の曲は何でしたっけ?」と楽員に聞くユーモアも交えつつ、前半は楽しく終了。
後半は展覧会の絵。CDでは何度も聴いたことがあるあるが、実際に生で聴くのは今日が初めてである。出だしのトランペットがうまい!彼はプロの奏者と見た。全体のアンサンブルも前半より確実にいい。落ちついたテンポもよく、古城やカタコンブなどがよかった。キエフの大門はこのオーケストラならではのパワーが全開し、実に迫力があった。そしてそれと同時に、ラヴェルのオーケストレーションのすばらしさに改めて感心させられた。
そしてアンコールはベルリオーズのハンガリー行進曲。いい選曲だ。そしてこれで終わりかと思ったら、次はまったく正反対の静かなバーバーの弦楽のためのアダージョを演奏。これを宇宿さんの指揮で聴くのはこれで3回目だろうか。そう、最初はあの阪神大震災のチャリティーコンサートで。この曲は私に何か特別な感覚をもたらす。それはとても不思議な感覚。時間が停止してしまう感覚と言ったらいいだろうか。自分が時間という流れの中におかれた一己であることをふと自覚する時。抽象的すぎてうまく説明できないが、とにかく不思議な力を持った曲である。つづいて、バッハのG線上のアリア。ここでは指揮者も楽員も関係ない。ただ音楽の持つ美しさを演奏者一人一人が心で感じ、それをそのまま表すだけだ。聴衆も無心に耳を傾ける。本当にいいひとときであった。
次の日、何気なく夕刊を読んでいたら、「NATO、セルビアで橋を爆撃、11人死亡。(日本時間30日夜8時)」という見出しが目に入った。昨日の夜8時、そう、あのバーバーのアダージョが流れていたその時、またしても悲しい事件が起きていたのである。それを考えたとき、ふと恐ろしくなった。この戦争は決して、遠い国の出来事ではない。いま現在、進行しているのである。ただ、それはあなたの目の前で起きていないということだけで。本当に人間は何度バカをやったら気が済むのだろう。私はアメリカがあそこまでバカな国だとは思わなかった。本当に。ミロシェヴィッチ一人を攻撃するために何人のいけにえを捧げれば気が済むのだろう。このままでは本当に人類は環境問題で死滅するより先に戦争で死滅するのではないかと思う。
音楽の話からは脱線したが、ここまで書く気になったのも音楽の力である。本当によいコンサートであった。
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